「できます」は、"可能"を表す言葉じゃないーりんたろうの仕事の流儀

僕は、自分が少しでもやりたいと思えることで、

 

「これ、お願いしたいんだけれど、できる?」

 

と訊かれたら、

 

「できます」

 

と、"いい顔"して答えていると思います。

 

 

 

 

そして、帰ってからもんのすごい考えます。

 

どうやったら出来るんだろうなぁ・・・と。

 

そして、めっちゃ努力して、必ず実現させます。

 

 

 

「できる?」と訊かれた瞬間の自分には、おそらくできないでしょう。

 

かと言って、それは、嘘をついているわけではありません。

 

叶えてしまえばいい。そうすれば、それは本当になります。

 

 

 

「そんなこと言っちゃっていいの??出来なかったら、相手に悪くない??」

 

なんて、一瞬でも考えるのがバカバカしくなるぐらい、「人に何かをお願いされる」というのは、非常に奇跡的なことだと思っています。

 

 

お願いする人の周りにも、たくさんの人がいるはずです。

普段から関わりがあったり、これまでも一緒に何かをしてきたり。

いや、インターネットサービス全盛期の今、もはや知り合いでなくても頼めますよね。より経験値が豊富で、見せ方も上手な人達が溢れていて、ワンクリックでつながれるんですから。

 

 

 

そんな中、何の偶然なのか、気まぐれなのか、はたまた先見の明なのか、その人は自分にその話をふってきたわけですよ。

 

 

自分がやりたいと思っていることを、他の誰かがやって欲しいと思っている。

 

 

ありがたいことに、人は、誰かのために頑張るとき、普段以上の力が発揮されるようにできている。

 

 

チ ャ ン ス で し か な い。

 

 

 

自分が新しい世界を切り拓くための舞台は、完全に整いました。

 

 

 

「できます」

 

 

 

それは、今、可能かどうかを伝える言葉ではない。

 

何千何万という人の中から自分を選んでくれた相手に対しての誓いと、

「自分の可能性を信じる」自分に向けたエールだと、僕は思っています。

 

「その場で生み出す」ブレスト、「寝かせる」逆ブレスト

よねです!

先日、アイディア発散→収束をセットにしたブレスト会議のファシリテーターを担当させていただくことがありました。
2時間×2回の会議、初回から2回目まで1ヶ月ほど間を開けての実施。
さてどうプログラムを組み立てようと考えながら参考にしたのが『全思考法カタログ』なる本でした。
https://www.amazon.co.jp/%E5%9B%B3%E8%A7%A3-%E3%80%8C%E6%8B%A1%E3%81%92%E3%82%8B%E3%80%8D%C3%97%E3%80%8C%E7%B5%9E%E3%82%8B%E3%80%8D%E3%81%A7%E6%98%8E%E5%BF%AB-%E5%85%A8%E6%80%9D%E8%80%83%E6%B3%95%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%83%AD%E3%82%B0-MAJIBIJI-pro/dp/479931307X

f:id:rintaro_suginami:20170725210647j:plain

その名の通り、内容としては発散系思考法、収束系思考法、さらにはデザイン思考のあれこれアイディアが詰まったもので、まさにカタログ的!

 

当然ブレストの紹介もあったわけですが、そこで書かれていたことに納得。

「確かに創造的アイディアが、会議の中で閃いたという話はあまり聞きません。…アイディア創出場所のトップ3は『お風呂の中』『布団の中』『乗り物の中』です。」

※この本ではウィリアム・ダガンによる「逆ブレインストーミング」として紹介されています。

 

つまり、ブレストにも2種類の形があって、

①他の仕事への意識は置いといて、今はここに集まったメンバーで思いつく限りアイディアを出しましょう!
②考えたいテーマを頭の片隅に置きつつ日々を過ごし、何か関連するアイディアが思いついたら覚えておいて、集まったときにシェアしましょう!

ということなのですね。

 

これ、時間が許すならどっちもやっちゃったら良いですよね!
その場で集中して考えて生み出して、他者との対話の中で気づきが生まれてアイディアが拡がり、深まる。これ大事。
その場では思いつかなかったけど後で浮かんだ良さげなアイディア、実はその場では出さなかったけど密かに抱えていたアイディアを後で整理して提示する。これも大事。

 

であれば、本当にあらゆるアイディアを絞り出したいときは、そのために集まって発散する時間を設けることと、日常生活の中で降ってきたものも回収できるようにすることの両方が効果的なのかも。

 

そんな気づきを得られた場づくりでした!
日々学びばかり!楽しいですね(^^)

5年間 ー僕がActive Learnersを興した理由(と書いて"わけ"と読む)ー

こんにちは!!

りんです。

 

今回、再びブログのデザインを変更しました。

僕たちと会ったことがない人達にも、親しみを持っていただけるようにするために、トップに写真をもってきました。

 

ちなみに僕は、写真の右側です。

「りん?ああ、Active Learnersのかっこよくない方ね」

と、言われてからが勝負だと思っています。

 

 

さて、会社を興してから、3ヶ月が経ちました。

改めて、創業者としての想いを、ここに残そうと思います。

「このブログは、テクニック集や実践記録を書くべ。自分達の想いとか別にいいじゃん」と思っていたのですが、前回よねが書いた自己開示を多分に含んだ記事を読んで、「・・・こういうの、大切」と思ったので、書きます。

 

 

2012年1月27日。

第1回杉並区ワールドカフェ・サロン〜もし、杉並区の100人と”ともだち”だったら〜、通称「100とも」と呼ばれるイベントを開催。ファシリテーターの「ファ」の字も、ワークショップの「ワ」の字も知らなかった僕が、初めて杉並区で主催したイベントです。

 ここから全ては始まりました。

 

そして、5年間。

 

杉並区を舞台に開催した多世代交流の対話イベントは50回を数えました。

 

企画・開催し続ける中で、僕は人が集まる場の可能性に、本当に本当にたくさん触れることができました。

 

 

準備段階。プログラムの構成1つ1つに、自分なりの原理・原則をもって組み立てていく。

当日は、中立的な立場で運営に徹する。場の動きを観察・分析し、時に介入する。

 

参加者の不安が少しずつ取り除かれていき、主体性のスイッチが入ったときの場を、外から見ているときの面白さったら、ない。

 

変わっていく、変わっていく、変わっていく

 

 

 

あっ、変わった。

 

 

はっきりと見てとれる。一言で表すと、自由。

 

共有したゴール、用意していたプログラムと、参加者自身の思考や想いが完全にシンクロした瞬間に、「すべき」とか「しなきゃ」とかから解き放たれて、「したい」だけでその場が動くようになる。

 

しゃべりたいときはしゃべって、聴きたいときは聴いて、考えたいときは考える。

 

燃えさかる炎のような盛り上がりを見せる時もあれば、炭が空気を受け取って紅くじっくり熱を放っている時もある。

 

終了後もそれぞれ。

最初に共有したゴールは達成できるのは大前提。その上で、みんなそれぞれ「何か」を持って帰る。

満足げな顔。すっきりした顔。どっと疲れが出ている顔。もやもやしてる顔。

いろんな顔。それがいい。みんな違うんだもん。

 

そんな場を一緒に経験した人達は、変わります。

「ただの集まり」が、

時に「ともだち」に。

時に「チーム」に。

時に「夫婦」になりました。

飲み会、起業、結婚・出産まで、新たな動きが、5年間で数えられるだけで350件以上も起きたんです。

他の5つの自治体でも、違いを楽しみ受け入れるという基本理念を土台に、対話イベントが今も継続され続けています。

 

もちろん、失敗もたくさんありました。

上記にあるような「参加者自身の思考や想いが完全にシンクロした〜」みたいな瞬間を、僕の立ち位置からでもはっきりと見てとれた場は、まだ数えるくらいしかありません。

 

失敗の全ては、自分の想定の甘さゆえの結果です。

 

「あのときああしていれば、一言がなければ・・・」今でも鮮明に思い出せるくらいに、悔しい。

けれど、一つ一つ、一人一人と向き合いながら、さらに原理・原則を磨いていきました。

 

 

 

そんな、5年間。

 

たっくさん頭を使って知恵を絞って場をつくって、お腹壊すぐらい緊張しながら運営して、想像し得ない成果が生まれる場面に立ち会えることが、好き。

 

原理・原則を積み重ねながら、常にトライアンドエラーを繰り返しながら、自分の糧にしていく感じが、好き。

 

自分の実感と実績の元に積み重ねたスキルと知識とつながりを活かして、ご飯を食べていくような生き方が、好き。

 

だから、会社をつくりました。

 

 

もっともっと、面白い場を増やしたい。

 

それが、今考えうる中で、自分が一番幸せでいられる生き方だと思うから。

 

 

人が集まる場が面白くなれば、チームは、もっと強くなる。学びは、もっと進む。まちは、もっとよくなる。

 

自分の周りを、自分がとれる手段の中で、一番幸せにできる生き方だと思うから。

 

 

はぁ、やっとまとまったぜ。

 

 

追記(2017.7.10)

どうして、これまで書けなかったか。

 

僕はこれまで、場づくりは、まちづくりを実現するための「手段」の1つだと考えていました。だから、地元杉並区での継続開催にこだわっていました。

 

それにも関わらず、5年後の僕の選択は、場づくりに特化すること。

つまり、まちづくりという「目的」をほっぽり、場づくりという「手段」を目的化してしまった(だと思っていました)。

 

それが、どうしても自分の中で腑に落ちていなかった。

大学生活を通じて、「自分のまちを、自分でつくる」道を選択したはずが、なんてこった、これでいいのかと。

 

でも、そうじゃなかったんです。

 

冷静に考えると、これまでの場づくりの成果は、当初の自分が想像していたほどには、"まち"に還元されていなかった。

 

つまり、【まちづくりのためには、継続した場づくりをすればよい】・・・という前提が間違っていたんです。

 

じゃあ、これまでの場づくりの成果は、一体"何"に還元されていたのか。

 

その場に参加した"人"、にでした。それは、自信をもって言える。

 

そもそも、"まち"は、"人"の集合体。

 

はっ・・・つまり、上質な場が増えると、そこにいる"人"は豊かになる。

"人"が豊かになると、結果的に"まち"が豊かになる。

 

これだっ!!・・・と。

 

僕は、後退したわけではありませんでした。

 

以前の自分が立てた前提を5年間の検証ののちに修正し、

 

【人が集まる場がもっと面白くなれば、人はもっと幸せになれる。人が幸せになると、まちはもっと豊かになる】

 

という新たな前提を打ち立て、

 

新しい仲間達と共に、新しい一歩を踏み出していたのでした。

 

自分の中で、また一本の道筋が見えた。

 

また、これからしばらくはこの道を歩いてみようと思います。

「イマココ」感とともに生きてみる ―Planned Happenstance(計画的偶発性)という考え方―

こんにちは、よねです(^^)
こういった形でブログ書いたの、何年ぶりだ…(笑)
 
前回の記事で共同代表の山ノ内からご案内がありましたが、私もこちらにつれづれを発信することになりました。
先に断っておきますが、私も筆不精です(笑)
よろしくお願いします~♪
 
今回は場づくりというよりはキャリア(生き方)観のご紹介を。
 
この春から、働き方を私なりに大きく変えました。
都内私立高校の教員からファシリテーション事業の起業へ。
ファシリテーターと英語教員の2足のわらじの中、現在、キャリアコンサルタント資格取得のため勉強中です。
 
なぜ、このような今の私がいるのか、ちょっと考えてみたところ、タイトルにある「Planned Happenstance Theory(計画的偶発性理論)」との出会いが大きかったように思えます。
 
 
新卒で高校英語教師として入職してから何年目のことだったでしょうか。
仕事柄、人の「キャリア(生き方)」についてどうアプローチしようかあれこれ考えていたところ、今でも大変お世話になっている先輩から1冊の本をお借りしました。
『その幸運は偶然ではないんです!』
…タイトルからすると何事かと思いますよね(笑)
でも読んでみるとナルホドの連続。私自身の感覚とつながることが多かったわけです。
 
内容はこんな感じです。
◎人のキャリアは、そもそも偶然の積み重ねで成り立っているんだよ!
◎そんな偶然に計画的・意識的に向き合うことで、何かが見えてくるかもしれないよ!
 
計画的・意識的ってどうするの?
①好奇心をもって、常に学ぼうとする。
②失敗を恐れず、めげず、継続的に努力する。
③まぁ何とかなるよ、実現するっしょ、と楽観的でいる。
④こだわりを捨てて柔軟に考え、自分を変える覚悟をもつ。
⑤確実な成果が見えていなくても、リスクを取ってやってみる。
 
…うむ、確かに。
 
 
私は、自分の今までを振り返るたびに、人との出会いに恵まれてきたと感じずにはいられません。
ここに来たからこの人に出会えたのだな。
この人に出会えたからこんなことが起こったのだな。
もう、そんなことばっかり!
 
今年、フルタイムの教員を辞めて起業することになったのも、私に声をかけてくれた共同代表の同志がいたから。やっていること・やろうとしていること・考えていることを肯定的かつ多角的に捉えて支えてくれた同僚・先輩・後輩がいたから。「あなたの好きにするが良いよ!」と信頼して気持ちよく任せてくれた家族がいたから。
 
もっと遡れば、高校教師時代にも(もちろん今でも)、色々なことを学ばせてくれる先生方が校内外にたくさんいて、そんな方々と出会えたことは本当に自分自身の財産だと感じます。
 
 
…と、偶然がものすごく重なって今に至っているわけですが、そんな偶然の出会いの連続の中で、私は自分なりに考えてみて「よし、じゃあ今はこれで!」と色々なことを判断・選択しているんですよね。
これって、別にそこまで先々のことを計画して決めているわけじゃない。そもそもこれから何が起こるかわからない世の中で、物事が計画通りに進むかもわからない。
 
 
でも、「イマココ」の自分の感覚を大事にして、そこでベストと思ったことを選択してきたのは自分です。
 
「人生は選択の連続」という格言がありますね。
樹木希林さんも同様のことを(CMで)言っています。
 
周囲にアンテナを張りながら、人との出会いを大事にしながら、これからも「イマココ」感をもって行動してみよう。
転職バンザイ!という記事ではありません(笑) あくまで「偶然と計画的・意識的に付き合ってみる」という考え方と、それをもとにした生き方についてのお話です。
 
ご興味あれば本もご一読あれ!!

「おしゃべりさん」が場で活きる方法

こんにちは、りんです。

まずお知らせです。
これまで山ノ内凜太郎個人で投稿していたこのブログを、僕が経営する合同会社Active Learnersの共同ブログにします。

筆不精の僕1人の投稿だと、どうしても継続的に投稿するのが難しいのと、
せっかくなら共同代表の米元洋次の知見も載せていった方がブログとしても、忘備録としても価値あるものになると考えたからです。

これからは月1で必ず投稿するようにします。
見て下さっているみなさま、乞うご期待!!☆★


さて、本題です。

まちづくりの現場から、会社組織にまで、至るところに出現する「おしゃべりさん」。

20分という枠が決まったグループトークの時間。
自分の周りには他にも4名いるんだけれど、平気で1人で5分とか喋っちゃう。

ファシリテーションや会議づくりの研修を実施する際、「喋り過ぎる人をどうやって止めればいいのか」という質問は、ほぼ必ずといっていいほど出されます。


「おしゃべりさん」と認定してしまう・されてしまうことは、実は場にとっても大きな損失です。

自分の話をする時間は、少し乱暴に言い換えるのならば、相手の話を聴かない時間です。「おしゃべりさん」は、せっかくたくさんの考えや想いをもっているのに、相手の話を聴かないが故に、新しい発想が入ってこず、いつまでも自分の枠の中での話になってしまいます。

自分の枠の中での話を聴き続けるのは、苦痛です。必然的に、「この人の話は、話半分で聴こう」と思われてしまう。なので、「おしゃべりさん」が、実は場にとって有益な話をしていても、周りの人がすでに「聴かないモード」に入っていて流れてしまうこともあります。これは、とっても勿体無い。


今回は、
・誰でも「おしゃべりさん」になる可能性がある
・「おしゃべりさん」は場にとって有益な情報をもっている
という前提のもと、おしゃべりさんをうまくコントロールしながら、場をつくる方法について書きます。


(1)開会でできること
・「おしゃべりさん」は注意されるという前提を、しっかりと場で共有する
「今日の場では、ここにいるみなさんの考えや想いが出されることを大切したいと思います。なので、誰かがずーっと喋っていて、同じ席の人が自分も喋りたそうな顔を見かけたら、ぼく(ファシリテーター)は遠慮なく注意しちゃいますからね!」
…というようなことを、会の始めにしっかりと共有することが大切です。
おしゃべりさんは、良かれと思ってお話しされていることが多いです。それを、喋り過ぎだと「急に」注意されると、逆上してしまったり、逆に喋れなくなってしまいます。なので、事前にしっかりと「みんな対等」「注意される可能性がある」という前提を共有しておきます。

(2)プログラムをデザインするときにできること
・話す時間と聴く時間を分ける
あるテーマについて話すとき、3〜5分程度、話し手が一方的に話をし、聴き手はあいずちとうなずきを意識しながら相手が話しやすい時間をつくります。自分も確実に話せる時間が持てるという安心感があるため、聴き手のときは相手の話に集中できますし、話し手のときには遮られることなく話せるので充足感を感じることができます。
*一方でお話することが苦手な人もいるので、その点も考慮する必要があります

ストーリーテラーに任命する
テーマについて「おしゃべり」さんに10分〜15分程度でお話してもらい、それを踏まえてグループトークを行うという、ある意味で逆転の発想です。これも、考え方は上記と同じ、話す時間と聴く時間をしっかりと分ける、ということを更に大きな枠で考えます。普段は、「グループで対話をする」という前提があるので「おしゃべりさん」と思われてしまいますが、話し手と聴き手とはっきりと立場を分けることで、しっかりと相手の話に耳を傾けることができます。いわゆる“偉い人”・"年長者"が「おしゃべりさん」の場合に、特に効果的な方法です。
*「おしゃべりさん」の話が長かったり、早かったりして、聴き手が大変にならないように、ファシリテーターが内容をホワイトボードに書き出したりすることが必要な場合もあります

(3)注意するときにできること
「○○さん、お話ありがとうございます!△△の点、とっても重要だと思いました。その上で、他の人の話も聴いてみたいとぼくは思ったのですが、いいでしょうか?」
まず、相手の内容をちゃんと聴いておくこと。上っ面ではなく、心から聴いて、そしてよかったと思ったことを伝えること。わたしは他の人の話も聴きたいと、I messegeで伝えること。名前を呼ぶこと。あくまでも、その人が喋り過ぎなことが悪いのではなく、他の人の話を聴きたいという風に伝えることを、ぼくは大切にしています。


喋りたいことが溢れるって、すごいことだと思うんです。
それを場で活かせたら、みんなハッピーだと思いませんか。

「自由に」「自然に」の罠 ー自由な会議は望むものではなく、創るものー

イメージしてみて下さい。

 

集会室に参加者が集まり、席に着きました。
いよいよ会議が始まります。

 

開口一番、司会者からの一言。

 

「今日は議題について、自由に思ったことをお話し下さい」
「かしこまらないで自然な感じでいきましょう」

 

シーン…と静まり返る会場。隣の人と顔を見合わせながら躊躇している参加者がちらほら。

 

困った司会者が、個人に話を振ります。

 

「どうぞ、○○さんの好きなようにおっしゃっていただいていいんですよ。何かありませんか?」

 


・・・・・

 

たまに出くわす「あるあるな会議」の場のイメージです。

 


おそらく場の主催者は、参加者の主体性を尊重したい・本音を引き出したいという意図で、「自由に」「自然な」という言葉を選択されるのだと思います。

しかし、これらの言葉はタイミングを誤ると、全く逆の効果を引き起こしてしまいます。


会議やワークショップ型のイベントなど、人が集まる場では、参加者の頭の中には参加する前から「分からない」ことがたくさん浮かんでいます。

 

・何を話せばいいんだろう?
・何時までかかるんだろう?
・他の参加者はどんな人だろう?どんな気持ちでいるんだろう?
・また前回と同じ感じかなぁ…?

 

「分からない」という状態は、「不安」という感情に直結し、出来る限り失敗をしない選択をするようになります。会場に入るとマイクから一番遠い後ろの席に座るというのも、「当てられない=失敗しない」という不安からの選択でしょう。


そんな「分からない」がうごめく開会直後、「自由に」「自然に」「好きな」という曖昧さを伴う言葉は、更に参加者の「?」を増やします。

 

・自由って、どこまで?
・あなたの言う自然な感じって?
・好きなようにやって、他のみんなにどう思われるだろう?


結果、参加者はいずれかの行動を取るでしょう。


他の誰かが答えてくれるのか、はたまたこの現状を鑑みて司会者が方針を転換することを信じて「黙る」
他の人に「合わせる」「譲る」
声の大きな人・慣れている人に「便乗する」


「自由」「自然」という、参加者のあるがままを引き出したいと望んで発した言葉は、結果として、当たりざわりのないつまらない時間に変えてしまいかねません。

 

 

では、そうならないように、「自由な」場をつくるためにはどうすればよいか。
具体的な場面ごとに例を挙げてみます。

 


例1 開会の時間
◾︎5W1Hは最初に丁寧に共有する
◾︎しっかりと準備し、5分以内に終わらせる

 

・この会議が終わったときにどのような状態になっていることを目指すのか
・どのようなスケジュールで進めていくのか
など、前提条件はしっかりと参加者と共有しましょう。目指すべきゴールがはっきりしていることで、参加者もそこに貢献するために動くことができます。

また、開会の印象が会全体のイメージをつくります。どんな会議にしたいのかをイメージし、それに合わせた声のトーンや表情など、司会者は準備が必要です。だらだら話すのもマイナスイメージ。何を話すかと同じくらい、何は話さなくていいかを考え、シンプルにまとめましょう。

 


例2 自己紹介の時間
◾︎話す項目はこちらで用意する
◾︎Closed→Which→Openな質問を織り交ぜる

 

『お名前・お住まい』など、考えないで発せられる質問、
『好きな食べもの(寿司のネタは鉄板)』など、ちょっと考えて選ぶ質問、
そして、『今の素直な気持ち』や『今日の意気込み』など、自由に考えられる質問、
それぞれを用意することをオススメします。Closedな質問は、知らない人の前で声を発すること自体に慣れるという効果もあります。

「型にはめたくない・自由に喋ってほしい」という声も聴くのですが、それを願っているのは主催者であって、むしろ最初は型通りの方が安心して喋れると考えるのが参加者です。型にはまりたくない参加者は、いくら型が用意されていても、それを「上手く」崩すので心配しなくて大丈夫。

 


例3 グループ討議の時間
◾︎似た考えの人達を集めてグループをつくる
◾︎想いの共有から意見・考えの共有へ

 

例えば、賛成・反対など、意見の方向性がいくつかに分かれる議題を扱う場合は、初めに同じ意見を持つもの同士にグループ分けをしてしまうのも手です。同じ考え方の人が集まっているという安心感が、参加者の自由な発言を促します。その後、別の考えを持つ人達と話し合う機会があっても、「うちのグループでは…」という切り口で、「個人の考え」ではなく「グループの考え」として発信できるので、ハードルが下がります。

また、話し合う内容も「どうしてそう思ったのか」という想いの共有から、「どうしたらいいか」という意見・考えの共有へと進めることで、周りの人達の意見の根拠が分かるので、受け入れやすくなります

 

 

自由な場は、

参加者が何を不安に感じているのかを察し、それをできる限り取り除く。
その場の安心・安全を、目に見える形で保障する。

そのようなことを丁寧に積み重ねていくことによって創られていきます。


そして、ファシリテーターは、そんな場づくりをプロとしてお手伝いしています。

“相手”の顔が見えたときが、始めどき 〜イベント・事業・会社を始めるタイミング〜

学生時代の話。

 

僕は学生団体を立ち上げ、社会問題の解決を目指して活動していました。

 

自分たちが考えたイベントに多くの人達が集まってくれたことに喜びを感じながらも、

 

「こういうことをしているだけで、社会課題は本当に解決するのだろうか」

 

と、疑問を覚えたことは少なくありません。

 

活動を続ければ続けるほど、社会はどんどん広く、深いものだということが見えてきます。解決を訴える自分の言葉が、なにか薄っぺらいものに感じてきたのです。

 

 

一方、こういった活動を続けていると、自然と同じようなことをしている人達同士の横のつながりが増えてきます。

 

 

その中に、僕とは違い、どれだけ壮大な夢を掲げられても、話を聴いていると、なぜかしっくり感じる、納得してしまう、思わず応援したくなるような人達がいました。

 

 

話のディティールがすごく細かくて、聴けば聴くほどに鮮明に映像として立ち上がってくる。

 

多分、この人は本当に、その人と会ったんだろうな、その景色を見たんだろうな。

触れ合ったんだろうな、感情が動いたんだろうなぁ。尽くしたんだろうなぁ。

だから、その先が自然と見えているんだなぁ。

 

そういう人達見て、自分もそうありたいと、強く想いました。学びました。

 

 

 

そのときの学びは、今でも生きていて。

 

“相手”の顔が見えたときが、始めどき・・・これを大切にしています。

 

「これをやると、あの人が喜ぶな」

とか

「こういうときは、あの人にお願いしよう」

とか

「絶対あの人、食いついてくるぞ」

とか

「あの人がこう言ってたから、これやりたい」

とか

必ず、やりたいと思ったことの先に、顔が見える、鮮明に。

そういうときに始めることは、大抵うまくいきます。

 

 

就職を蹴って、杉並区に引っ越してきたときも

 

杉並区ワールドカフェ・サロン”100とも”を立ち上げたときも

 

聴きあいの絵本づくりのクラウドファンディングに成功したときも

 

直近で言えば、先日第一回目を実施した、区民と職員とがそれぞれの視点を活かして共に学ぶ勉強会、「ミライカイギ★すぎなみ」の実施も

 

ぜ〜んぶ、顔が見えていたから始めたし、だから手応えを感じています。

顔が見えるということは、それまでに自分がしっかりと動いたぞということを知らせてくれる、一つの目安のようです。

 

 

逆に、これまで失敗した〜と感じたときは、

必ずといっていいほど、顔が見えていないとき・自分だけがやりたいとき・ちゃんと話が聴けてないときでした。

 

今、色々と企んでいることは山ほどあるのですが、一時停止状態にしているのは、全てこれが理由。

ある程度話を進めた上で、気づいてしまったんですよね。

「顔が見えていない」ということに。

 

だから、見えた瞬間、すぐに動き出します。

 

 

 

あなたがやりたいこと、誰が必要としているの?誰が応援してくれるの?

 

その人の名は。(あれ、どっかで聴いたような・・・)

ちゃんと言える?

 

この感覚、まちという規模感で活動するからこそ、これからも大切にしていきたいと思います。

 

新会社設立に向けて動き始めた今だからこそ、自戒をこめて。