議論の場で、綺麗事ではなくあらゆる意見が大切だと言える理由

もともとこういう考え方をしているところからも、もしかしたら僕はファシリテーターに向いていたのかもしれません。

 

 

僕は、「面白い意見を出す人」なんて、いないと思っています。

 

まどろっこしく書くなら、

 

ある意見を、そこに参加している人が「面白い」と判断したとき、とりあえずその場においては、その意見が「面白いもの」として認識される。

 

・・・という風に考えています。

 

言い換えるのなら、周りに認識されなければ、「面白い意見」は生まれません。

 

すごいのは、「面白いアイディアを出す人」ではなく、それを「面白い」と判断したその場の人達です。

 

話はかわりますが、色々と議論を繰り返しながら、最終的には元の意見に落ち着いた・・ということがあります。

 

それは議論を繰り返す中で「元の意見」をいいと判断する材料が、その場の参加者の中に揃った奇跡の瞬間です。

 

もしかしたら、その材料が揃わなかったかもしれませんし、新たな意見が生まれて、それが面白いと判断される可能性もあったわけですから、改めて「元の意見」をいい意見だと判断できたことは、とっても前向きに捉えられることだと思います。

 

いくつもの判断のもとに、「面白い意見」がその場に生まれるのだとしたら、判断材料となる意見に「どうでもいいもの」なんて、1つもないのだということに気が付きます。

 

何か意見を聴いたときに「つまらない」「違う」と感じるということは、自分の中に強烈に「楽しい」「そうだ」と肯定的に捉えている何かがある・・ということに他なりません。

 

議論の場は、大量の意見・情報を浴びながら、自分自身の本質に近づいていく場と言えます。

 

意見がたくさん出れば出るほど、それぞれが自分の根底にある価値観に気付き、納得感の伴った判断ができるよう、自分は変容していきます。

 

 

・・・とまぁ、そう捉える人ばかりの場であればいいのですが、実際にはそううまくいく場ばかりではありません。

 

 「面白い意見」を言おうと1人で熱くなって言葉数が少なくなったり、

「それは違う」と自分の中に入れる手前ではたき落としてしまったり、

 

う〜ん、すごくもったいない。。。。

 

議論の場において、無駄な意見は一つもありません。

 

何も気にせずに自分の意見を出してみる、

相手の意見をちゃんと聴いて自分と対話する、

 

それを行うためには、その場における安心感やゆとりが必要です。

 

そういった場を意識的にデザインするためにも、きっとファシリテーターという役割が必要なんだなぁと、考えています。

行政提案型協働事業としての狭山版100とも"つな×つなさやま"、無事に完結しました!!次は市民主導で☆★

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今年の5月から始まった埼玉県狭山市と市民団体Sayama Second Stage(3S)の協働事業が、昨日、無事に終了しました(^^)
 
会場には、過去最高となる60名近い方々が集まり、スペシャルゲストとして小谷野市長がテーマの出題者として現れ、最後まで参加して下さるなど、素晴らしい形で終了することができました。
 
はぁ・・約半年かぁ。。
思い返してみるとあっという間。でも、色々ありました。
 
最初は、運営メンバーの中でも「結論を出さない対話の場」の必要性について疑問視する声が上がっていました。
 
「何か」その場での成果物が必要なのではないか。市政につながるアイディアを生み出さなければならないのではないか。あの時、結論は出なかったけれど、しっかりと考えをぶつけあえたのがよかった。
 
そんな感じで、手探りで始まったつなつな。初めは参加人数が伸びなかったり、「(一応説明はしているのですが…)結局なんのための会なんだ?」と言われ、動揺したときもありました。それでも、明確にコンセプトは打ち出しているので、それでも来てくださる方々を大切にしようと、季節に合わせた装飾にこだわりながら、お客様をお迎えしました。
 
大きな変化を感じたのは第3回が終わったあと。
Facebookでつなつなの参加者同士がつながっている投稿がいよいよ上がってきました。第4回では広報手段にも幅が増え、リピーターさんがお友達を連れてきてくれたりしたおかげで、新規参加者がぐっと増えました。会場の盛り上がりがこれまでと違うと、感じられたんです。
 
そして第5回の昨日は過去最高人数を達成。ふりかえりの時間では、「こんな場があるさやまで働きたい」「この場をわたしが続けたい」という声がいくつもあがりました。
 
もう、信じてもいいでしょう。話し合いにおいて、そこで生まれる成果物は何かという視点も、もちろん重要。でも、それ以上に「安心・安全が約束された場所で、まちの人達と気軽におしゃべりできる」という場それ自体が、求められていたんです。
 
杉並区で実感としてあったことが、狭山市で実現できたこと、それに少しでも携われたことが本当に嬉しい。
 
しっかし・・・つな×つなさやま、本当にすごいんです。
 
運営メンバーそれぞれが、狭山の第一線で活躍している市民であること。
協働自治推進課の職員さん達の熱意が狭山茶を点てられるレベルであること。
毎回季節に合わせた手作り装飾のクオリティが尋常じゃないこと。
市役所の職員さんがたくさん参加してくださっていること。
高校生メンバーが子ども達の面倒を見てくれるので、親が子どもを連れて気軽に参加できること。
子ども達がつくった折り紙や紙粘土が装飾として活かされ、終了時に会場が一層華やかになっていること。
 
そりゃ成功するよ。やばい、なんか悔しくなってきた(笑)
 
これで行政提案型事業としてのつなつなは終了しますが、これからは自走していく予定です。
 
最後に。

杉並区からきた僕を、いつもいつも受け入れてくださる狭山のみなさんに本当に感謝しています。第5回のテーマは「家族」。小谷野市長は最後のふりかえりで、「帰ったら家族に"ありがとう"と言いたい」とおっしゃっていましたが、僕も狭山のみなさんに、心から・・・

 

"ありがとーーーーーーーーーーーーう"

 

なんか、もう狭山から去るような感じになってしまいましたが、来月も再来月も年明けも行きます(笑)
 
 
追伸:ファシリテーターとしての唯一の心残りは、今回、ご新規の方がお1人、途中で帰られてしまったこと。ちゃんと理由を聴けなかったんだよなぁ…> <; 大丈夫かなぁと目をつけていた人だったので、余計に気になる。。まだまだ精進が必要です(;_;)ちゃんと宿題まで用意してくれる。さすが、つな×つなさやま。

4年の間で、杉並発の対話文化はどう広がっていったのか 〜杉並区内編〜

2012年1月21日に、第1回杉並区ワールドカフェ・サロン”100とも”を主催したことを契機に、僕はファシリテーターとして杉並区内で開催された多くの対話の場やワークショップの企画・運営に携わらせていただきました。

 

面白いことに、それらの場は決してポンと偶発的に企画されたものでは決してありません。

 

何か新しいことが始まるときには、必ずキーマンがいるんです。

ある1つの場の開催がキーマンを呼び寄せ、そのキーマンが確実に次の場の開催のきっかけを生み出しています。

 

そして、その一本の糸はきっと僕にしか見えていない。

知っていただきたいし、キーマンのみなさまに感謝をお伝えしたいと思ったので、改めて書いてみます。

 

 

■①杉並区ワールドカフェ・サロン”100とも” × キーマン:山本さん(久我山緑の散歩道 杉並区テーマ型まちづくり協議会)

 →②みんなで考えよう!高井戸公園づくりワークショップ(2014年)

 

100ともに参加して下さっていた山本さんが、杉並区久我山に新しくできる都立公園に区民の声を届けたいという想いから、ワークショップの依頼を下さりました。本ワークショップは全3回を実施。デザイナーや建築士も参加者に加わり、非常に質の高いアウトプットを東京都に提出することができました。

 

 

■②みんなで考えよう!高井戸公園づくりワークショップ × キーマン:伊藤さん(元・中瀬中学校PTA会長)

 →中瀬ぶっちゃけ話の会(2014年〜)

  →下井草ぶっちゃけ話の会(2016年)

   →下井草タウンミーティング(2016年)

  →③中学校PTAと教育委員との懇談会(2014年)

  →区立学校・PTA特別研修(2015年)

  →高井戸中学校グループエンカウンターの授業(2014年)

   →高井戸中学校SNSワークショップ・講演等(2015年)

  →高井戸第三小学校教員向けファシリテーション研修(2015年)

  →向陽中学校職業体験振り返りワークショップ(2015年〜)

 

ワークショップに参加して下さった伊藤さんが、自身がPTA会長を務められている学校で生徒×親×先生による対話の場を実施したいという想いから、ワークショップの依頼を下さりました。第1回のテーマは「みんながワクワクする体育大会って??」おしゃべりが終わったあとの、生徒達の興奮した表情は忘れられません。

 

また、このつながりを契機として学校単体の場づくりから、様々な学校のPTA会長が集まる教育委員との懇談会の場づくりへとつながりました。

 

更に、この機会によって唐澤さん、林さんという各学校のPTA会長とつながり、それぞれの学校でワークショップを実施させていただくことができました。

 

 

■③中学校PTAと教育委員との懇談会 × キーマン:吉田さん(元・杉並区立小学校PTA連合協議会会長)

 →④すぎなみ教育シンポジウム(2015年)

  →杉並区立小学校PTA研修(2016年)

 

前年度に中学校PTAを対象に実施させていただいた対話の場づくりを、今度は小学校で行わせていただきました。きっかけをくださった吉田さんとは、僕が杉並区商店会連合会の事務局にいたとき、高円寺銀座商店会協同組合専務理事としてお世話になったこともあり、地域のつながりが生み出す可能性を感じました。

 

そして、中学校・小学校といただいたこの機会が、区立小中学校の教師・PTA・学校支援本部・保護者等が300名集まるすぎなみ教育シンポジウムへとつながりました。

 

 

■④すぎなみ教育シンポジウム × キーマン:森さん(杉並区役所職員)

 →⑤中央図書館改修に向けたワークショップ

 

シンポジウムでの成果は役所内でも共有していただけたそうです。その結果、先日終了した中央図書館の改修に向けたワークショップを実施することができました。

 

 

このように、杉並区内では、キーマン達のおかげで対話やワークショップに触れる機会が確実に増えているんです。

 

もちろん、まだまだ浸透はしていませんし、ワークショップに対する正しい認識や理解は進んでいません。

 

なんとなく流行ってきたし、面白いという噂も聴いたし、参加者が主役っていい響き〜ぐらいの認識が多いように感じます。

 

多くて困るケースは、これまで講演会で使っていた時間や予算を、そのままワークショップに当てはめてやって欲しいというもの。さらには、そもそもワークショップの依頼主がワークショップに対して懐疑的ということもあります(なぜ依頼してきた!?)。

 

まさに、コツコツと階段を上っているイメージ。

 

担当者との打ち合わせのときから、ワークショップの効果と手法、押さえどころを説明・共有し、担当者が実現したいゴールを話し合いながら引き出し、それをプログラムに落とし込みます。

 

その上で、当日にそれをきっちりと実現する。設定したゴールを実現することはもちろん、参加者のみなさんがとってもいい顔をされている状態、会場の熱が上がっているのがわかる状態を生み出す。

 

ここまで出来て、成功。担当者はきっと次にワークショップを企画する時にはきっと違った視点で臨んでいただける。

 

また、参加者の中にいたキーマンの目にとまり、新たな場づくりにつながる可能性も出てきます。

 

キーマンは、すごい人達ばかり。

これまでずっと、自分から積極的に動き回り、色々な人に頼られ、普段からもっといい方法はないか・面白いことはないかと常にアンテナを張り巡らされていらっしゃいます。

 

だからこそ、こっちも必死。本気。

毎回、まだ顔が見えぬキーマンに、届きますように!!という気持ちで場に臨んでいます。

 

僕らが目指している「自分たちのまちを、自分たちでつくる」まちには、対話の文化やワークショップの手法は、一度は通っていても損はしないんじゃないか〜と思っています。流行っているし、せっかくなら面白いと思える場に参加してもらいたい。

 

だから、これからも成功を積み重ね、区内のキーマンと一緒にコツコツと進んでいきたいと思います。

 

次回は、杉並区から区外への広がりを書きます。

まちづくりで、儲けようと思わない方がいい

*前提として、ここでの「まちづくり」という言葉は、広くまちの課題を解決すること、まちに新たな魅力を創造することを指しています。また、主にソフト事業をイメージしていただければと思います。

 

 

 

杉並区に引っ越してきてから早4年。様々な形で杉並区のまちづくりに関わらせていただいています。

 

100ともをはじめとする小・中規模のイベントの主催。

会議ファシリテーターやワークショップの企画・運営。

助成金申請・報告書作成などの事務作業。

行政や市民団体の事業やイベントのお手伝い。

などなど。

 

これらを実施することや、それに向けた準備等々は、もはや仕事というか、日常生活に近い感覚で行っています。

 

以前、父親に「りんたろうは、まちに就職したんだな」なんて言われていたようなのですが、言い得て妙。

 

そんな僕が常々思っているのが、タイトルの通り、「まちづくりで、儲けようと思わない方がいい」ということ。

 

儲けたくないわけではありませんが、なんというか、儲けるものではない・・というのが近いかもしれません。

 

 

理由は、シンプル。

 

まちづくりの活動は、嗜好品ではなく日常用品。

マーケットの発掘ではなく、社会インフラの構築・補完。

 

本当はあったほうがいいんだけれど、ないことに慣れてしまっている。

 

そのせいで、もっと幸せになれる・楽になれる機会を逃していたり、しわ寄せを受ける人が出てきてしまっている。

 

そこに新たな提案をするのがまちづくりだと、思っているからです。

 

 

例えば、ある商店街イベントでのお手伝い。

 

長く地元で住んでいる人達や商店街の役員さんからしたら、「手伝える人が手伝うのは当たり前。自分たちもやっているし」であって、お金を支払う行為だと認識されていない場合があります。

 

そこに入り込み、助成金の申請も一緒にお手伝いしながら、雑役務費という項目でアルバイト代を計上し、申請する。当日、若者を集めて精一杯動いてもらい、きちんと対価を支払う。そういう事実を積み重ねて文化をつくる。

 

 

例えば、教育関連の組織でのイベント実施や会議ファシリテーションを請け負う場合。

 

そもそも「会議にファシリテーターを入れる」という文化がなかったり、「予算を請求したり、どこかから引っ張ってきたりする」ということをやったことがない人が経理を担当していたりします。

でも、やります。理由は簡単。場に寄り添える第三者としてファシリテーターがいると、利害関係者が集まっている場の進行がこんなに楽になるんだということを、体感していただき、あわよくば根付かせたいからです。

もちろん、ずっとタダでは困るので、他の学校での予算申請の方法を共有したり、来年度に予算をつけたくなるようなクオリティを目指して頑張りますが(笑)

 

 

・・・と、僕にとってのまちづくりはこんな感じです。

 

僕の周りを見回しても、まちづくりを担っているのは、儲けたい人ではなく、他の人よりもちょっと早くに、もっと楽に生きる方法に気付いた人ばかり。

 

お金がもらえないときも、人の倍、汗をかくときもあります。

でも、向き合えば向き合うほどに、「自分の描いたまち」が広がっていく。

それで、やっぱり楽だなぁと実感する。

 

それが醍醐味。

ねっ、儲からなさそうでしょう??(笑)

 

 

ただ、もっとお金が動けばいいなぁとは思っています。

 

お金が動くということは、人やサービス・商品が出たり入ったりするということ。そういった動きを通じてまちは活性化していきます。

 

まちに住む人自身がどんどんチャレンジをして、もっともっとお金が動くようになればいいと思います。

 

そんなチャレンジを楽にするために、100ともをやってきたわけだけれども。

 

僕も100ともの力を借りて、新たに起業するので、その一端を担いたいと思っています。

 

そういう姿が、更に僕の後輩達にかっこよく映って、真似したいと思ってもらえたら、いいな。

理想までの距離を”測る力”

杉並で「こんな場所が欲しい」と思ったので、同じ志をもった仲間を集めて、新規法人の立ち上げの準備をしています。

 

これが、すごく楽しい。

 

まずはメンバー同士がお互いのことを知り合うために、一緒にいる時間を増やしたり、徹底的にアイスブレイクして。

 

どんな場所にしたいか、ゴールイメージややりたいことについて、とにかく頭と心に浮かんだことをブレストで出し合って。

 

出し切って一息ついたところで、事業についてのコンセプトシート(たたき台)をつくって、お互いのイメージのズレを確認・修正して。

 

全員がある程度同じ方向を向いていることが確認できた状態で、具体的に5W2Hを詰めていく。

 

 

この進め方は、団体の立ち上げも、長期プロジェクトも、イベントの企画立案も、ワークショップデザインも、あまり変わりません。

 

何か新しいものを形にするためには、 通るべき道のりなのでしょう。

 

 

 

これらを進めていく上で、経験則が生きているなぁ〜と実感するときがあります。

 

それが、理想までの距離を”測る力”

 

 

 

ワークショップでも、イベントでも、プロジェクトでも、大抵の場合、初期に設定するゴールは必然的に高くなりがちです。

 

「世界中の人を、笑顔にしたい」とか、そういう極論っぽいことがゴールになったりします。

 

最初はそれでいいんです。高い方がワクワクしますし、高くないとやる意味がないくらいに思っていたりする・・盛り上がっている状態です。

 

ただ、そのゴールを実現するために、いろいろな諸条件を考えて企画を具体化していくと、どうしても足踏みする瞬間があります。

 

意外と金がかかりそう。人が必要そう。時間が足りなさそう。段取りを踏まないといけなさそう。大変そう。面倒くさそう。

 

 

要は、社会の仕組みやしがらみ、自身の能力不足に気づいたりするわけです。

 

 

そうしたときに、そのゴールを諦めるのではなく、マクロの視点から企画を見つめ直し、現状とゴールまでの漠然とした距離を測る力。

 

自分自身や仲間の能力はもちろん、持っている情報やつながり、手段を正確に把握する力。

 

そして、新たに設定し直したゴールを信じ、実行・継続する力。

 

 

「うわ〜ゴールまでの道のりが長いぞ、こりゃ」と気づいたときに、すぐさまゴールを再設定して、手段を考え直して、一歩ずつ丁寧に・・・とモチベーションを保ち続けられる自分でいられる力は、まさに成功と失敗が織り成す経験と実践の中で培ってきたものだと感じています。

 

 

では、この力は、どうやって身に付けるのか。

 

漫然と経験を積み重ねるのではなく、必ず振り返ること。

 

振り返りを活かし、再チャレンジすること。

 

チャレンジするプロセスの中でお世話になった人や、一緒に歩んでいる仲間達への感謝を忘れないこと。

 

そして何より、ゴールへの強い想いを持ち続けること。

 

こんなところな気がします。

 

 

1つの経験やチャレンジは、次のチャレンジのハードルを下げます。

 

それはきっと、成果以上のものが、僕たちの頭や心に積み重なっているからなんじゃないかなぁ。

僕には、自信がない〜すぎなみ地域大学での講演を終えて〜

3/19に、すぎなみ地域大学主催の講演会に、登壇者として立たせていただきました。

 

タイトルは「すぎなみで働く。すぎなみと生きる」

 

内容は、

1:杉並区ワールドカフェ・サロンとすぎなみのファシリテーターの詳細説明

2:住んでいるまちで何かを始めたい人へ

3:集客・運営のコツは

4:まちでの活動と生活の両立〜複数収入のススメ

という4項目。

 

参加してくださったみなさんとの距離をなんとか近づけたいと、入口でメッセージ入りの飴ちゃんをプレゼント。

 

その後、1で、“聴く”自己紹介を実施し、違いを楽しみ受け入れる“聴き合い”の姿勢について実体験していただきながら、参加者同士の交流を促進。

 

更に、各項目の冒頭に、僕から参加者のみなさんへ「問い」を投げかけ、その後、僕の視点をお話させていただく。終了後に、その「問い」や僕の話を聴いた上での感想などを、参加者同士でお話いただく時間を設けました。

 

そして、図々しいながら、最後には僕へのラブレターや質問を付箋に書いていただきました。これ、宝物です。

 

こんな質問がありましたので、ここでお答えさせていただきます。

Q.りんちゃんの、各分野での師匠は?

A.例えば、ファシリテーターとしては、専修大学附属高等学校の皆川先生。

まちづくりの仕組みづくりとしては、高円寺純情商店街の吉田さん。

まちで生きる人としての在り方は、清水屋の山田重子さん。

・・・などなど、もちろん他にもたくさん挙げられますが、今、直近でお世話になっている方々と言えば、上記の先輩達を挙げさせていただきます。

 

Q.起業の設立計画もっと詳しく知りたい

A.今後、どんどんアップしていきます。とりあえず、4/18〜22は起業に向けてとことん向き合う時間をつくります。

 

Q.家を借りる・確定申告やその他もろもろの問題について知りたい

A.聴いていただければ、なんでもお答えしますよ(^^)

 

その他、当日に用いた資料をアップロードできるようにしました。

http://8.gigafile.nu/ldda939935315707b11d04110cc63bdc5-0402

(本日3/26より一週間ダウンロード可能)

 

・・とまぁ、色々と策を講じながら「アクティブに聴ける講演会」を目指したのですが、参加者のみなさまの反応を見る限りは、うまくいったんじゃないかなぁと思います。

 

 

 

今回の講演の柱は、杉並区協働推進課の西崎さんが考えて下さいました。

 

西崎さんとは、2年前の地域デビュー講座を一緒につくるなかで、しっかりと人と人とで向き合いながら仕事をしてきました。

 

そんな彼が、今回、僕のことを知った上で、このような機会をくださったこと、本当に感謝しています。

 

「行政の職員さん」と仕事をしたのではなく、「西崎さん」と仕事ができたと実感できたこと。常に、こう在りたいと思いました。

 

 

 

ただ・・・正直のところ、すごく不安でした。

何が不安か。

 

単純に、人が集まる気がしなかったのです。

 

今回、自分の中ではっきりとわかったことは、

 

僕は、自分に自信がないということ。

 

ここは、もう少し丁寧に説明させてください。

 

僕は、自分のしている活動には自信があります。

 

なぜなら、自分が活動することによって、周りに多くの人達が集まってくださっているからです。僕は、周りの人達の素敵さには自信があります。

 

でも、僕がしている活動に対する自信は、僕自身の自信とは決してイコールではないんです。

そこには、大きな壁というか、もはや違う次元の話です。

 

昨年、僕の30歳の誕生日記念ということで、サプライズパーティーを開いてくださったことがありました。

これまでの自分の活動に携わって下さった方々が70名以上も集まって下さった。

こんな幸せな瞬間はありませんでした。

 

でも、ずっと頭の中には疑問が浮かんでいました。

 

「なんで、僕なんかのために来てくださるんだろう??(ありえない!!)」という気持ちです。

 

僕らISPが主催する、杉並区ワールドカフェ・サロン“すぎなみの100とも”に人が集まって下さるのは分かります。

僕たちの企画に対するこだわりはもちろんですが、参加してくださるみなさん自身の魅力に、新たな参加者のみなさんが引っ張られてきています。

 

でも、僕の誕生日とか、今回の講演のような僕の話とか、僕自身のことに関しては、全く分からない。

 

だから今回、講演に人が集まるかどうかが不安で仕方がなかった。

でも、自分の話なんかを聴いてもらうなんておこがましいと思ってしまうから、どうしてもFacebookでもお誘いができなかった。

 

身内と、一緒に活動してくれているISPのメンバー以外に、最後までイベントの招待をすることができませんでした。人が集まってくれなかったら困るということも分かりながら。

 

僕の周りの人達のことを信じることで、自分の活動には自信があるのに、その人達が発してくださる、僕に対するお褒めの言葉は信じられないという矛盾。

 

なんなんでしょうね。

 

今は、まだその矛盾は解けそうにありません。

解かなくてもいいことなのかもしれません。

 

でも、今、はっきりとしていて、僕にとってプラスに働くことは、自分の活動には自信があるということ。

 

 

ふと思ったのですが、だから、僕は動き続けているのかもしれません。

 

世間一般では、もしかしたら逆なのかもしれませんね。

自信があるから、動ける。チャレンジできる。

 

でも、僕の場合はまるっきり反対のようです。

 

自信がないから、動く。

 

どれだけ考えたか。

どれだけ時間をかけたか。

どれだけ向き合えたか。

どれだけ汗をかけたか。

どれだけ人を巻き込めたか。

どれだけつながっていられているか。

 

僕に自信があるなし関わらずに、動いた成果は周りの人が決めてくれる。

すごく楽です。

 

自分に自信があるのか・・・とか考えているより、ずっと楽。

 

もちろん、自信を持つために動いているわけではありませんが、僕が僕として在るためにも、僕はきっと動き続けるんだと思います。

 

このようなことに気がつけたのも、講演という機会があったから。

 

本当に感謝感謝です。

「チャレンジ」という選択肢が目の前に現れたら、とりあえずやった方がいいと思う。

*あくまでも、学生と進路に悩んでいる若年社会人向けです。ピンポイントで、あいつと、あいつと、あいつ宛てに書きましたが、僕自身の生きた体験なので、もしかしたら他の方にも何かしら届くことがあるかもしれないと思い、ブログにしました。

 

僕より年上の方には読んで欲しくありません。もしかしたらイラッとされる可能性がある気がします。あまり読まない方がいいと思います・・・とちゃんと書きましたからね。書いたのに読んでしまって、イラッとされても責任はとれませんので、ご了承ください。

 

 

 

初めて休学を決めようとしたとき。

内定を辞退しようとしたとき。

杉並区に移住を決めようとしたとき。

ファシリテーターとしてこれまで開催してきた場を依頼されたときのほとんど。

 

自分の行動を「チャレンジ」と感じるとき、目の前には必ずリスクが存在していました。

 

もしそれが取るに足らない日常的な出来事であるならば、それをチャレンジとは呼ばないはずですから。

 

これは僕の考えですが、

チャレンジすることによって生じるかもしれないリスクが、

チャレンジしないことによって生じるかもしれないリスクよりも大きい場合、

人はチャレンジしないことを選びます。

 

今より良くなるという魅力よりも、今より悪くなる不安に目を向ける人が世の中には多いので。

 

 

これは、非常にありがたいことです。

 

 

おかげで、チャレンジをする人間は、どんどんハッピーになっていきます。

僕も、おそらくその1人だと思われます。

 

チャレンジをすると決めたからには、守るべきシンプルな流儀があります。

・その道を信じきること

・本気を出しきること

・けじめをつけること

 

これさえ守れば、リスクは決してありません。

少なくとも、これまではありませんでした。

 

もっと正確に言うと、実施前に想像していた成功や失敗などというレベルを超えた新しい出来事が、必ず訪れました。

 

自分の道を信じて、本気を出して、やり切る人は珍しいらしく、これまで他の人がやってこなかったけれど、本当は誰かにやって欲しかった新しいチャレンジの話が、どんどんと舞い込んでくるようになります。

 

 

もし、このような生き方をリスクがあると捉える人は、

チャレンジしないことによって生じるかもしれないリスクに、気付いていないのかもしれません。

 

これも僕の考えですが、チャレンジをしないということは、自分の感覚を信用しないということに似ています。

 

例えば、僕に「2020年オリンピックのハンマー投げに代表として出場できるチャンスがある」というオファーがきても、僕はチャレンジしようとは微塵も思わないでしょう。

 

僕にとってハンマー投げは、好きなことでもなければ、興味の対象でもないからです。

このようなマイナス・ネガティブな思考を前に、チャレンジという選択は生まれてきません。

 

 

言い換えるのならば、目の前に現れた選択肢を「チャレンジ」と感じているということは、「やってみたい」「できるかもしれない」という自分の心が反応しているということだと思うんです。

 

そんな自分の心の動きを信用せず、チャレンジしない選択をすることは、僕には非常に大きなリスクだと感じられます。

 

一度、チャレンジを見逃すと、チャレンジをしないでいることに慣れていきます。チャレンジしなかったからこそ、今の「安定」した生活があると。

 

果たしてそうでしょうか。

 

自分の内なる感覚を信じてこられなかった人は、基準を外に設けるようになります。そして、世間体や情報・流行、金・・・相対的な価値観に流されるようになります。

 

自分の価値や幸せを外部に委ねる生き方の、どこが安定なのでしょう。

 

自分の心や生き様を自分で切り拓ける強さを育てていくことが、本当の意味での安定だと、僕は思います。

 

世間に流されず、自分の心に素直に、まずはチャレンジをしてみてくださいな。

 

今抱いている想像上のリスクなんて、チャレンジしているときの現実のワクワクドキドキに比べたら、どうってことないんですから