イベントは「参加者」より、「主催者」の方が圧倒的に楽しくなくてはならない3の理由

静岡のかわいい活動者の後輩ちゃんが、「イベントは“参加者”より、“主催者”のほうが圧倒的に楽しい5の理由@わかものうぃーくす」というブログを書いていたので、それに触発されて、発想が出てきました。

 

タイトルの通り、僕の方がちょっと語気が強めです。

 

僕はもはや、主催者が楽しめないイベントなんて、やる必要がないと思っています。

 

理由は、3つあります。

 

1:イベントは、主催者の想いや姿勢を形にしたものだから

「自分達は、こんな人間で、こんな風に考えていて、こんなことを目指しているんです!」・・を表現したものが、イベントです。

 

言わば、団体紹介。

 

そうだとするならば、自分達が心から“これいいっ!”“これ楽しいっ!”と思えないものを、どうして自分の大切な人や、ましては顔も見たこともないけれど興味をもってもらいたい人達に勧めることができるでしょうか?(いえ、できません)

 

それに、楽しくないものは、続きませんし、広まりません。

 

怒りや責任感は、爆発力にはなるかもしれませんが、継続力には向きません。疲れちゃいますし、眉間にしわを寄せながら動き回っている姿を見ても、周りはついていきたいとは思えないでしょう。

 

自分達が心から楽しんでいるから、自然と笑顔が生まれ、言葉に力が宿ります。

そして、そんな姿に人が惹き付けられるんじゃないか、広まっていくんじゃないかなぁと、僕は思っています。

 

2:イベントは、主催者と参加者との感覚の差を測るものだから

 

主催者が思っている“楽しい”が、社会にとってはどうなのか・・・そんな両者の感覚の違いを測るためにも、イベントは役立ちます。

 

社会にとって、イベントが“それいいっ!”“それ楽しいっ!”と思ってもらえるものなら、多様な広報ツールを駆使せずとも、集客は達成することが出来ます。

「他の人にも勧めたい」という最強の広報ツール“信用出来る人からの口コミ”が発動されるからです。

 

逆に、人が集まらないイベントに関しては、広報うんぬんの前に、主催者の“楽しい”と社会の“楽しい”がズレている場合があるので、大きな修正や場合によっては廃止する必要もあるでしょう。「時代を先取りし過ぎちまったぜ・・・」と慰めればいいんです(よく自分に言い聞かせてる)

 

・・・と、このように指標として使うためにも、言い訳出来る余地がないように、やはり主催者が本気で“楽しい”と思っているものを出さなくてはならないのです。

 

3:イベントは、主催者の存在意義を実感する場だから

イベントは、誰でもできるイベントであってはいけません。

誰でも出来るならば、自分でなくても良くなってしまいます。

そんな風に自分が感じている活動は、楽しくありません。

 

これは何も、「何か特別で、創造的で、革新的なものでないと、イベントではない!」と言っているわけではなりません。

 

大切なのは、「自分がつくっている」という実感です。

 

例え、有名人を呼んで講演してもらうイベントで、自分達が表舞台に立たないものだとしても、 会場の雰囲気づくりやスライドや配布物へのこだわり、お見送りの際のプレゼントなど、「自分達がつくっている、自分達だから出来る」と、主催者が心から感じられるイベントづくりが重要です。

 

自分がつくったもので、何かが変わる瞬間は、楽しいんです。

 

 

 

 

来たる1/31、僕も1つのイベントを実施します。

 

「場の可能性〜若き杉並の場づくりスト大集合〜」

 

最近、まちで行われるイベントを表現する際に、“場”という言葉が増えてきています。

 

“場”は、小規模集客・対話を重視・定期的に開催…といった特徴をもち、時節に合わせて行われる従来のイベントとは異なる性格をもちます。

 

また、場には

(1)参加者同士のつながりが深まる

(2)口コミで無理なく自然に広まる

(3)運営者と参加者が共につくっていく

・・・という魅力があります。

 

本イベントでは、それぞれの分野で活躍している若手6人の“場”を題材に、“場”の特徴や可能性について、ゲストと参加者とが一緒に考えます。

 

僕の大好きな人達をゲストに迎えて、僕の大好きなメンバー達と一緒につくり、僕の大好きな人達が集まる・・・もう最高に楽しみな場です。

 

僕達のワクワクが、果たして社会にどう受け入れられるのか。

チャレンジです!!